社内報News letter

2013年8月 社内報
祖母について

約1カ月前の、2013年7月10日に祖母が他界した事をお知らせします。

古株の社員の中には、祖母と一緒に仕事した事があると思いますが、7月10日14時頃に永眠しました。享年93歳

身内だけのの密葬という事で、社内、社外的にも話をしませんでした。
また、社内だけの話としておいてください。同業者などでも気を使う方が多数おられますので、社内だけにとどめておいてください。

ここで、アチハ株式会社の歴史にもなるので、祖母について少し話をします。

うちのおばあさんは大正9年生まれ、仙台石巻出身で8人兄弟の長女として生まれる。太平洋戦争時に看護婦であったおばあさんは、中国満州の野戦病院におり、その時におじいさんと出会った。おじいさんは、軍曹をやっており、銃弾で足を打たれ入院していたそうです。

その時におじいさんが、看護婦の中で一番働き者だった、おばあさんをみつけ、戦後に石巻まで手紙をおくって大阪まで来てもらったそうです。

そして、戦争が終わって、おじいさんと一緒に馬2頭から、阿知波組をつくって、おじいさんと一緒に戦後の動乱期を生き抜いてきた。

馬が2頭と表現したのは、阿知波組というのは創業1923年ですから、戦前に私のひいおじいさんにあたる、阿知波勝四郎さんが創業しました。当時は馬100頭をかかえる大阪でも屈指の馬力屋だったとか、、、つまり馬で重たいものを引っ張ると。そして、戦争がはじまると徴兵ならぬ徴馬され、戦後に残った馬は2頭だけだったと。

その2頭を使っておじいさんとおばあさんで、再度、阿知波組を復興させました。

余談ながら、うちの会社に入ってすぐ左手に馬頭観音様という社がありますが、これは馬の神様を祭ってるのですが、その時からの歴史で馬を大事に思う気持ちからです。

戦後の動乱期を生き抜くというのは我々には想像もできない事ですが、当時は大阪市大正区泉尾に会社があり、洪水が起これば馬を逃がす為に馬屋まで泳いで行ったとか、事故した相手が日本刀を持って殴りこんできて二人切られてとか、トラックが箱根を超えれずに炎上したとか、、

それは戦後のどたばたの中、家族と従業員を飢えさせない為にとにかく必死で生きたのだと思う。

大阪の運送屋で祖母は女傑といわれ、阿知波組、橋本運送、大西建設運輸の3女傑といわれており、女性ながらこの男社会で働いていたので、そう呼ばれたのでしょう。

おばあさんからすると、会社というのは「生活の場」そのものでした。
今の我々の世代では想像できませんが、働く事は、すなわち生きる事でした。

今のように物が豊でない時代、、戦後食べる物もなく、着るものもない、、生きる為に働く、働かなければ生きていけない。会社をやっていくのは、従業員も含め生きていく為という、、今は別に働かなくても飢え死にしないし、働くという事が、「なんの為に」という若者が多いと思います。

今の若い子に働く意味というと、たぶん、皆が働いてるからという返事が多い思いますが、そもそも働くというのは生きる為なんです。

おばあさんの世代は、それが明確ですから、「働かざるもの食うべからず」という言葉があるように、仕事をしないというのは食べれないという事、、それゆえに、仕事への執念というのは今の我々には理解できないものがあります。

よく昔話をしてくれましたが、戦後が終わっても着るものもないから、おじいさんは軍服をきていた。でもある程度の地位にあった人だから、その軍服を着るのが恥ずかしそうだったと。でも、それでも生きる為には、恥をしのいで必死で生きていた。

私はこの会社で働き始めた頃に、おばあさんの家に居候していたので2人で住んでました。たまに早く9時頃に帰ると、おばあさんが起きており、「仕事はどうや、お得意様を大事にしてるか」、、こういう会話がいつもでした。

おばあさんが亡くなる1週間前に、おばあさんを見舞いに行きました。その時にはもう体力もなくやせ細ってましたが、かすれた声で、「タカちゃん、男は働いてナンボやで。頑張りや」と

それが最後の言葉となりました。

おばあさんが亡くなった時は、名古屋の電車積込の現場の最中で、お昼2時頃にメールが入りました。誰にも言わず、ただ現場で指揮をとりました。

翌日は大阪で仕事が入っていたので、お通夜に遅れて参加しました。しかし、翌日の葬式には出ずに、また名古屋の電車の現場に行きました。私も秀和も、現場を優先してました。

会長に相談しても、現場を優先しろと。

我々は、「仕事は何よりも優先する」という考えが根底にあります。

そういうおじいさん、おばあさんの背中をみて育ってますから、仕事というのは生きるため、生きる事よりも大事な事はありません。仕事が常に一番である。こういう考えが我々は小さい頃から植えつけられています。だから、葬式もいかず現場を優先しました。

でも、そうして一生懸命働く事がおばあさんは一番喜んでくれるだろうと思ってます。

おばあさんなら、きっとそう言うだろうと思って。「自分の葬式に来てるヒマがあれば、現場に行けと」。男は働いてナンボなんや。

こうやってメールを書いてると、おばあさんから言われた事を思い出します。

「ワイヤーは切れると思え。ワイヤーからは離れておけ」
「出発前にタイヤはチェックしろ。タイヤは命にかかわる」
「事故する奴は必ず横着モンである。それを許してはいけない」
「お得意様を大事にしろ」
「従業員の生活を常に考えてやれ」

93歳まで人生をまっとうし、戦争という大きな事件を乗り越え、生きる事へ執念を燃やし、、最後は苦しまずに老衰できたのは、よかったんじゃなかなと思う。。大往生だったと思う。

男は働いてナンボや。。。おばあさんの最後の言葉はいつまでも頭に残ってます。働くというのは、そんなに甘い事じゃない。生きる為なんだと。楽して稼ごうとか、手先で儲けようと思ってはいけない。必死で汗水たらして働く。そして、従業員の生活を守っていく事が会社の一番の使命なんだと。